名古屋市中区にある大須商店街は 大須観音の門前町としてまた名古屋市内随一の歓楽街として戦前まで大いに発展してきたが戦後徐々に衰退の一途をたどり、昭和40年代は僅かに年配の参拝者くらいしか人通りがなく シャッター商店街と化した。戦後の復興事業として名古屋市の中心地区である栄地区との間に幅100メートルの道路ができたことを発端に周りの近代化から取り残されてしまったのだ。 しかしこれが結果的に大須らしい魅力的な下町の風情を現在に残すこととなるのだが。 そしてここから現在に至るまでの見事な復活は多くの人々の取り組みと努力の結果であることを忘れてはならないだろう。 それは現状に危機感を抱いた商店街は大学や専門家などと協力して「アクション大須」を昭和50年に実施し、この成功がきっかけとなりその後、いろいろなイベントを仕掛け 更に昭和52年に映画館の跡地に「ラジオセンターアメ横ビル」の完成を契機に多くのパソコンショップ店が進出し電気街としての性格を強め発展を遂げた。地下鉄の駅が東西に設けられた ことも多くの人々が訪れるようになった要因でもある。
→後編
(画像中、人物を特定できるものに関してはイベント主催者または該当団体の許可を得て掲載しています。)